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『アガルタ通信』

『アガルタ通信』

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札幌の三条美松ビル(ジャマイカが入ってるビル)の3階に『PAGE ONE』というジャズ酒場があった。『札幌ジャズ・パルス』というジャズ愛好会のY氏が脱サラしてはじめた店だった。彼は日本のジャズに特に思い入れがあって学生の頃はほとんど毎日のように新宿ピット・インに通っていたと言うくらいのジャズ好きだった。就職活動もまず『スリー・ブラインド・マイス・レコード』に行ったほどだ!藤井社長に日本のジャズは金にならないから普通の会社に行きなさいと言われたそうだ(笑)。そんなY氏が念願のジャズの店を持ったのだからライブをやらないはずがない。まずはオープン記念に井上淑彦tsを呼んだ..というかツアーで来ていたのにのっかってライブを無理矢理組んだ。これは俺も観ている。『PAGE ONE』最初のライブである。20人も入ればいっぱいの店にギッチリ立ち見まででた盛況だった。このライブで気を良くしたのか、彼は次々とライブを計画する。当然、東京からのミュージシャンは金がかかるので地元札幌のミュージシャンを彼なりに組み合わせてライブをブッキングしていった。札幌のメンバーでのライブの最初は、東tb、三輪ds、池田gのトリオだった様な気がする(記憶違いだったらゴメン)このライブは『フリー・インプロヴィゼーション・イン・サッポロ』と題されたもので、俺も当然見に行ったが、このあとこの3人のメンバーと友達になるとは思わなかったなあ。『PAGE ONE』は狭い店だったが、それが客同士の連帯感につながり、顔見知りもいっぱいできた。特に『小池豊三商店』のメンバーは毎日の様に来ていたし(池田g)、各大学ジャズ研OBがよく集まっていた。ある時バークリーに在籍していた津越gという子の夏休みの帰国にあわせてライブをやるのに、バックとして濱gと床bがY氏に指名された。これが俺が最初に『PAGE ONE』で演奏した最初だと思う。ちなみにこのライブを観て床の後輩の菅瀬が335を買う気になったそうだ(俺が335を弾いていたのだ、フフフ)。これ以降、俺は結構『PAGE ONE』でライブを出来る様になって、北大のジャズ研の連中と伝法さんとライブやったり、桑田ケンジとブルース・ライブをやったり伝説の『全ギ』『野獣セッション』等をやり倒していったのだ。それ以外にも札幌のミュージシャンのライブを『PAGE ONE』で相当観た。この頃はジェリコはほとんどライブをやっていなかったし『CHAD』も出来ていなかったからだ。『PAGE ONE』で小池豊三商店のライブを何回観たことか!!岡本広さんもけっこう観たなあ。とりあえずこの辺で今回はやめておくが、思いでのライブ等はまた思い出しながら書いていこうと思う。


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